数学を苦手と感じている人へのメッセージ
2015年3月29日公開できるだけ自分のペースで学んでいこう
人には生まれてから死んでいくまでの間に様々な発達の段階があります。 そして、人が、いつ、どれくらい発達するのかということは、それぞれの人によって違っています。
例えば、自転車に乗れるようになる年齢のことを考えてみましょう。生まれたばかりの赤ちゃんは自転車に乗るどころか歩くこともできません。成長していくにつれそのうち歩けるようになりますが、自転車に乗れるようになるのはまだ先です。歩けるようになったばかりの子供に自転車の乗り方をいくら一生懸命教えても普通は無駄ですよね。 自転車に乗るために必要な「バランス感覚」がその子供にはまだ無いからです。そのような能力が身につくのはまだ先のことで、身につく時期は人によって少しづつ違っています。
また例えば、背の高さのことを考えてみることにしましょう。中学生のときに自分よりとても背の高かった友達が、大人になって久しぶりに会ってみたら自分より背が低くなっていたなんてことはよくあることです。
さらに例えば、野球選手のことを考えてみることにしましょう。高校生のときにはどんなに頑張っても「二番手の投手」で甲子園に行っても登板機会がほとんどなかったピッチャーが、プロ野球の選手になってから力を付け、「チームのエース」になるということもあります。
「背の高さ」はその人の努力でどうにかなるものではありませんが、「中学生までに背がよく伸びる人」や「高校生になってから背がよく伸びる人」がいるということはおわかりでしょう。
自転車の例や野球選手の例では、「力が伸びる時期は人によって違う」ということだけではなく「それぞれの人が、適切な時期にその人にあった努力をする」 ということが重要であるということを意味しているのかもしれません。
中学生のときには「数学って、なんでこんなに難しいんだろう」と困ってたのに、大人になってから中学校の数学の教科書を読んでみると、 「なあんだ、簡単じゃないか。」と思う人は実は多いのです。
こんなことを考えてみると、学校で、同じ年齢の人たちが全く同じことを学習するということには大きな無理が潜んでいるように思えます。それぞれの人が自分のペースで学習していくほうが、身につくことは多いはずです。
学校の授業が自分には難しくて困っている人が、学校の授業のペースに合わせて無理をして勉強をしていくだけの場合、1つのことを学ぶのにとても時間がかかり、なんとなくわかったということばかりになり、きちんと身につくことがあまりないまま大人になってしまうかもしれません。
一方、学校の授業に無理に合わせずに自分にあったことを選んで学習し、例えば学校の授業とは別に自分で自分の学年より1学年下の勉強を続けていく場合、勉強したことは少なくなったとしても、1つのことを学ぶのにかかる時間が短くなり、はっきりわかったということは多くなり、大部分のことをきちんと身に付け大人になることができるかもしれません。
この2つの場合を比べるとどちらが幸せと言えるのでしょうか。
数学をていねいに学んで身につけていくと、それはその人の一生の財産になります。数学で学んだことを社会生活の中で直接使うことは全くと言っていいほどありませんが、数学の学習を通じて身につけていった「モノの見方や考え方」はその人のことを知らず知らずのうちにとても助けてくれるのです。
でも学校では定期テストがある・・・
これはとても深刻な問題です。人はそれぞれ違った速さで成長していくのに、同じ年齢だからといって同じテストを受けなくてはならないなんて・・・
無理はしないで自己防衛をしましょう。「自分のために学ぶ」という気持ちを大切にしてください。そして、今の自分にできる範囲でテスト対策をしていきましょう。テストの範囲をしっかり確認して、その中から「今の自分でも確実に理解ができて身につくこと」だけを選び、できるようになるまで繰り返し学習するのです。そして、できるようになった問題がテストに出たら確実に得点できるようにしておくのです。 自分にとって難しすぎることを中途半端に学習しても、きっとテストでは通用せず、そのようなことを勉強するために使った時間が無駄になってしまいます。
でも、「今の自分でも確実に理解ができて身につくこと」だけを選ぶにはどうしたらよいでしょうか。 数学を苦手に感じている人は、どんなことが理解できてどんなことが理解できないのか分からないことが多いかもしれませんね。(よく、「何が分からないのかが分からない」という声を聞きます。)
それでは、学校の教科書を使って「今の自分でも確実に理解ができて身につくこと」だけを上手に選ぶことはできるでしょうか。これ、結構難しいんですよね。きっと、「この問題はなんとなくわかった」と思うことが多くて、「この問題はしっかりわかった」と思うことは少ないことでしょう。でもそれはどうしてなのでしょうか。実は、学校の数学の教科書には十分な説明が書いていないのです。別の言い方をすると、「行間」を自分で埋めて読まないときちんと理解することが難しいのです。ですから、教科書に書いてあることだけをいくら一生懸命読んでも、「行間」を自分で埋めることができない人は、自分がしっかり理解できているのかどうかよくわからないということになるのです。
ではまた、とてもきれいに作られた学校の授業のノートを使って「今の自分でも確実に理解ができて身につくこと」だけを上手に選ぶことはできるでしょうか。これも結構難しいんですよね。多くの場合、教科書よりもっと大変な思いをするはずです。なぜなら、教科書にくらべてさらに説明が書いていないからです。
まともな授業をしている学校の先生は、教科書には書いていない大切な説明を授業でしっかりしゃべっているはずです。 ですから、ノートをテスト対策に使うのであれば、学校の先生が授業で板書したことだけではなく、「行間」としてしゃべった説明も 全部ノートに書いておかないといけないのです。 でも、学校の授業ってスピードが速くしゃべったことも全部ノートに書いておくのは大変(というより無理?)ですよね。
こんなふうにして、真面目にテストに備えようとしても、頼れるものがなく困ってしまうことが多いわけですが、 このウェブサイトで入手できるテキストはそういう人を助けられるように作られています。このテキストには言葉を使って「行間」が全てきちんと書かれています。 つまり、答案に書く式や記号だけではなく、数学の問題を解く人が頭の中でどんなことを話しているのか全て書いてあるのです(だからとてもページ数が多い)。ですから、このテキストの解説をゆっくりていねいに読んでみれば、自分がしっかり理解できているのか判断ができるでしょう。
補足
残念なことですが、実は数学の学習では、「なんとなくわかった」ということは多くの場合「ほとんどわかっていない」ということと同じです。
日本の数学の教科書に十分な説明が書かれていない理由として、教科書に十分な説明が書いてあると先生のやることがなくなってしまうとか、教科書がぶ厚くなり教科書を作る費用が高くなってしまうので困るという説があります。本当のところはどうなのでしょうか?
大切な「行間」を考えないで学習をしていくと、「数学」ではなく、「数学のようなもの」を学習するはめになります。 そして「数学のようなもの」をいくら学んでもその人の人生には全く役に立ちません。
ここで「学習する」と言っているのは、「きちんとわかる」だけではなく「なにも見ないでも同じことができるようになる」ということです。つまり、わかったというだけではなく、できるようになるまで繰り返し練習することです。