数ベクトルの空間の計量
2022-07-16
幾何ベクトルの空間では、長さや角の大きさのことを考えることができ、そのための道具として内積と呼ばれるものが登場しました。数ベクトルの空間でも、内積と呼ばれる概念を定義して、数ベクトルの長さを扱うことや、特に成分がすべて実数のベクトルの場合に2つの数ベクトルのなす角の大きさを扱うことができるようになります。
本題に入る前に、複素数についてのおさらいと行列の記号の準備をします。
複素数についてのおさらい
複素数とは
実数の世界には2乗すると負になる数は存在していません。そこで、仮に、実数ではないなにか(数?)があって、それは2乗すると
ところで、このようなモノたちの世界が数の世界と呼ぶにふさわしいものであるためには、せめて、その世界に足し算、引き算、掛け算、割り算が導入されているべきでしょう。そこで2つのモノ
足し算
と を足すと となることに決めます。
例えばとなるわけです。
引き算
から を引くと となることに決めます。
例えばとなるわけです。
掛け算
と を文字式のように考え を展開します。そして が出てくる度にそれを に取り替えます。その結果最後には という形のモノ (ここで と は実数)ができ、これを と をかけた結果と考えることにします。
例えばとなります。
割り算
割り算は分数で書くことが出来るわけですから、まず、 を で割ったものを と書くことにします。
また、先のように掛け算を決めておくと、 という形のモノに を掛けると必ず がないモノが得られるということがわかります。実際にとなります。このことを利用することにしましょう。
の分母と分子に を掛けると分母からは がなくなります。 分子では と の掛け算を先に決めた仕方で計算します。そして形を整理していくと、最後には という形のモノ(ここで と は実数)ができるはずで、これを を をで割った結果と考えることにするわけです。
例えばとなります。
ところで、実数の世界では「 で割る」ということはできないのでした。ですから という形のモノ(ここで と は実数)の世界でも で割ることはできないと考えるべきでしょう。
以上で、とりあえず、
複素数と実数の関係
実数
複素数を1つの文字、例えば
共役複素数とその記号
複素数
例
(1).(2).
(3).
(4).
(5). 実数
となります。このことから想像できるとおり、一般にどんな実数
複素数の計算法則
命題
どんな複素数これらは複素数の世界における交換法則、分配法則、結合法則です。そして、これらの法則が成り立つことは、それぞれの複素数を
補足:このような法則が実数の場合と同じように成り立ち、計算上の使い勝手は実数と同じと言えるでしょう。そのようなこともあり、
共役複素数を作る操作については次のことが成り立ちます。
命題
どんな複素数が成り立ちます。
(7). は「複素数
以上の法則が成り立つことは
複素数の和や積と共役複素数
命題
どんな複素数が成り立ちます。
例えば一番目の法則は、「複素数のように計算できます。 他の法則も似たような仕方で確認できます。
またさらに次の法則も成り立ちます。
命題
どんな複素数
この法則が成り立つことは
複素数
記号の準備
転置行列
となります。
例
(1).転置行列の記号と行ベクトル・列ベクトル
とあらわされることになります。
例
複素共役な行列、数ベクトル
となります。
例
共役複素数の記号と行ベクトル・列ベクトル
成分が複素数のとあらわされることになります。
成分が複素数のとあらわされることになります。
(2).
数ベクトルの内積
本題に入りましょう。
内積の定義
同じ次数の2つの数ベクトル
まず、ベクトルの成分が実数の場合の説明をします。
という計算をして得られる数を
行ベクトルを
次は、ベクトルの成分が複素数の場合の説明をします。
という計算をして得られる数を
行ベクトルを
補足:幾何ベクトルの世界では、矢印の長さや矢印どうしのなす角をつかって図形的に内積を定義しますが、幾何ベクトルの世界に直交する座標系を導入してベクトルを扱えば、ここで定義した内積と同様な方法で内積を計算できるということを知っています。そこで数ベクトルに対しては、逆にその計算方法を流用して内積を定義したわけです。
補足:実数は複素数の特別なものと考えることができますから、成分がすべて実数の数ベクトルに対しても、成分が複素数の場合の内積の定義を使うことができます。その場合、
内積の性質
数ベクトルの内積は、2つのベクトルから1つの数を作る計算です。これからこの計算がもつ性質を説明します。
内積の共役線形性と正値性
命題
数ベクトル数ベクトルの成分がすべて実数で、
後ろ4つの法則は内積の共役線形性と呼ばれます。特に、最後の2つの法則をみるとわかるように、2つの数ベクトルのうちのどちらかを複素数倍してから内積をつくるとき、どちらのベクトルを複素数倍するのかによって結果に共役複素数の違いがでることに注意しましょう。
また次の法則も成り立ちます。
命題
この法則は内積の正値性と呼ばれます。
以上の法則が成り立つことは、どれも内積の定義から簡単に証明できます。なぜなら、内積を定義に従って作るとき、各成分の部分についてこのページでおさらいした複素数の和や積と共役複素数についての法則が成り立っているからです。
数ベクトルの長さと内積
前の命題で述べたように、数ベクトル
が成り立ちます。また、
とあらわされることになります。
補足:数ベクトルは矢印ではないので、直感に頼って「長さ」というものを考えることができません。 一方矢印で扱うことのできる幾何ベクトルでは、直交する座標系を導入してピタゴラスの定理を使い矢印の長さを成分から計算するとここで定義したものと等しくなっているわけです。 そこでこの事を逆に使って数ベクトルの長さをここで説明したように定義したのです。
補足:数ベクトルの長さはノルムと呼ばれることもあります。
シュヴァルツの不等式と三角不等式
内積のもつ性質をさらに2つ紹介しますが、これらは、矢印であらわすことのできる幾何ベクトルの世界で成り立っていたものを数ベクトルの世界で述べ直したものです。ただし、数ベクトルは矢印ではないので、幾何ベクトルのときにおこなったようにこれらの性質を直感に頼って証明するわけにはいかないことに注意しておきましょう。
シュヴァルツの不等式
命題
数ベクトル
これは、内積を作ってから絶対値をとったものはそれぞれの長さの積以下になるということを主張しています。
この不等式は、(平方完成や因数分解で行う計算のような)少しトリッキーな方法で証明することができます。
証明
以下、
この場合、証明すべき式では両辺とも
補足:ベクトルの内積に関する“展開”
となるわけです。先のシュヴァルツの不等式の証明の中ではこの計算を逆に使っているわけです。
(*) は以下のようにも書き換えられます。とあらわせることになり、普通の文字式の展開とそっくりになるわけです。
三角不等式
命題
数ベクトルが成り立ちます。
これは、矢印であらわされる幾何ベクトルの世界では、出発点から目的地へ直進するときの距離は、折れ曲がって進むときの距離以下になるということを主張しています。
数ベクトルの世界では、直前に紹介したシュヴァルツの不等式を使うと証明できます。
証明
証明すべき式では両辺ともとなり、証明することができました。 この式変形を振り返ってみると、等号が成り立つのは、 シュヴァルツの不等式で等号が成り立ち、 かつ、
2つの数ベクトルのなす角
すべての成分が実数になっている2つの数ベクトル
いま内積
補足:成分の中に虚数が含まれる数ベクトルに対しては「なす角」という概念を定義しません。
補足:ベクトルを矢印で扱う幾何ベクトルの世界では、ベクトルどうしのなす角は直感的に定まっているもので、それを用いて幾何ベクトルどうしの内積をと定義したのでした。数ベクトル空間の場合にはそのように定義するわけにはいきません。そこで、内積から出発し、逆に考えていくことによりベクトルどうしのなす角を定義したことになります。そして、シュヴァルツの不等式がそのようなことができることを保証しているわけです。
まとめ
ベクトルの世界で、長さ、角の大きさを取り扱うために導入された道具が内積という概念です。
内積は2つのベクトルからある1つの数を作る操作です。
内積の計算では、数ベクトルの成分がすべて実数の場合には普通の数の世界で成り立つ「交換法則」や「分配法則」に似た法則が成り立ちます。また、一般的に成分が複素数の場合には共役の印
数ベクトルの内積の定義から、「シュヴァルツの不等式」や「三角不等式」を導くことができます。また、すべての成分が実数であるベクトルに対しては、内積を使って2つのベクトルのなす角を定義することができます。