行列とその演算(5)
2022-6-1
正方行列
行の数と列の数が等しい行列を正方行列といいます。また、正方行列の行数と列数が共に \(n\) であるとき(つまり \((n,n)\) 型の正方行列)を \(n\) 次の正方行列といいます。 ここでは、正方行列に特有な話をします。
正則な行列と逆行列
数の世界では、\(0\) ではない数には必ず逆数が存在します。つまり、\(a\) が \(0\) ではない数ならば、必ずなにかしらの数 \(x\) が存在し、\(a\times x=1\) と \(x \times a=1\) が共に成り立つということです。そしてこのとき、\(x\) を \(a\) の逆数というのでした。
ではここで、正方行列の世界で同じようなことを考えてみたいと思います。まず、行列の世界で数 \(0\) の役割を果たすのは零行列 \(O\) で数 \(1\) の役割を果たすのは単位行列 \(E\) であったことを思い出しておきましょう。
疑問
\(A\) を \(O\) ではない正方行列とします。 このとき、何かしらの行列 \(X\) が存在して、\(AX=E\) かつ \(XA = E\) が成り立つのでしょうか?
答え
例えば、 \[ A= \left(\begin{array}{rr} 3 & 2 \\ 4 & 3 \end{array}\right) \] という行列を考えてみると、これは \(O\) ではない正方行列です。そして、天下り式ですが、実は、 \[ X= \left(\begin{array}{rr} 3 & -2 \\ -4 & 3 \end{array}\right) \] という行列を考えると \[AX=E, \, XA=E\] が成り立つことが計算でわかります。
つぎに例えば、\[A= \left(\begin{array}{rr} 2 & -1 \\ 4 & -2 \end{array}\right) \] という行列を考えてみることにします。これも \(O\) ではない正方行列ですが、\(AX=E\) と \(XA = E\) が共に成り立つ行列 \(X\) が存在するのかどうか探してみることにしましょう。
仮に、\(AX=E\) が成り立つ行列 \[X = \left(\begin{array}{cc} x & y \\ z & w \end{array}\right) \] が存在したとしましょう。
すると、
\[ \left( \begin{array}{rr} 2 & -1 \\ 4 & -2 \end{array} \right) \left( \begin{array}{cc} x & y \\ z & w \end{array} \right) = \left(\begin{array}{cc} 1 & 0 \\ 0 & 1 \end{array}\right) \]
が成り立つことになります。 左辺で行列の積を計算すると、この等式は \[ \left(\begin{array}{cc} 2x-z & 2y-w\\ 4x-2z & 4y-2w \end{array}\right) = \left(\begin{array}{rr} 1 & 0 \\ 0 & 1\end{array}\right) \]
となります。
左辺と右辺の成分を比べてみると、例えば第 1 列から \[2x-z=1\] と \[4x-2z=0\] が同時に成り立っていることになりますが、そんなことは無理です。なぜなら、 \(4x-2z\) は 必ず \(2x-z\) の \(2\) 倍なのですから、\(2x-z\) が \(1\) のとき、\(4x-2z\) が \(0\) になるわけありません。ですから、\(AX=E\) が成り立つ \(X\) は存在しません。
以上見てきたように、行列の世界では、数の世界とは違って、\(A\) が \(O\) ではない場合でも、\(AX=E\) をみたす \(X\) が存在しないこともあるわけです。
そこで以下のような定義をすることにします。
定義
\(A\) を \(n\) 次の正方行列とします。 そして、何かしらの行列 \(X\) が存在して、\(AX=E\) と \(XA = E\) が共に成りたつとき、\(X\) は \(A\) の逆行列であるといいます。また、逆行列が存在する行列を正則な行列と呼ぶことにします。
とりあえず以上のように定義するのは良いのですが、まだいくつかの疑問が残ることになります。
疑問
\(A\) に逆行列があるとしても、いくつあるのでしょうか?
この疑問に答えるのが次の定理です。
定理
行列 \(A\) が逆行列をもつとしても、 \(A\) の逆行列は1つしかありません。
証明
行列 \(X\) と \(Y\) が \(A\) の逆行列であるとします。すると、 \(E=YA\) がなりたち、\(AX=E\) もなりたっています。ですから、 \[X = EX = (YA)X = Y(AX) = YE =Y\] というように式変形ができます。つまり、実は、\(X\) と \(Y\) は同じ行列ということです。疑問
行列の世界は普通の数の世界と違い、一般に積は交換できないのでした。すると次のような疑問が浮かび上がります。\(AX=E\) を満たす (つまり\(A\) に右からかけると \(E\) になる)\(X\) が存在するとしても、その \(X\) は \(XA=E\) を満たす(つまり\(A\) に左からかけると \(E\) になる)のでしょうか。
答え
実は、 \(AX=E\) が成り立てば \(XA=E\) が成り立ち、\(XA=E\) が成り立てば \(AX=E\) が成り立つことを証明することができます。行列の基本変形と呼ばれるものを使うと証明できますが、その説明はまた別の機会としておきます。
最後に逆行列をあらわす記号を紹介しておきます。
記号
行列 \(A\) が逆行列をもつとき 、\(A\) の逆行列を \(A^{-1}\) という記号であらわします。
正則な行列の性質
逆行列をもつ行列を正則な行列というのでした。正則な行列は次の命題で示されるような性質があります。
命題
- \(A\) は正則な行列とします。このとき、 \[(A^{-1})^{-1} = A\] が成り立ちます。
これは、逆行列の逆行列は自分自身であるということを主張しています。 - \(A,B\) が共に正則な行列ならば \(AB\) も正則な行列です。 そして \[(AB)^{-1} = B^{-1}A^{-1}\] が成り立ちます。
証明
逆行列の定義によると、 \[A^{-1}X=E,\,XA^{-1}=E\] を満たす行列 \(X\) が \(A^{-1}\) の逆行列です。\(A\) が \(A^{-1}\) にたいしてこの関係を満たしていることは明らかです。ですから \(A^{-1}\) の逆行列は \(A\) です。
逆行列の定義によると、 \[(AB)X=E,\,X(AB)=E\] を満たす行列 \(X\) が \(AB\) の逆行列です。 そこで、\(B^{-1}A^{-1}\) が \(AB\) の逆行列なのかどうか確かめてみることにしましょう。
まず、\(AB\) の右から \(B^{-1}A^{-1}\) を掛けてみると、\[(AB)(B^{-1}A^{-1}) =\{(AB)B^{-1}\}A^{-1}=\{A(BB^{-1})\}A^{-1}=(AE)A^{-1}=AA^{-1}=E\]
となります。また、\(AB\) の左から \(B^{-1}A^{-1}\) を掛けてみると、
\[(B^{-1}A^{-1})(AB)=\{(B^{-1}A^{-1})A\}B=\{B^{-1}(A^{-1}A)\}B=(B^{-1}E)B=B^{-1}B=E\]
となります。ですから、\(B^{-1}A^{-1}\) は \(AB\) の逆行列、つまり、 \[(AB)^{-1} = B^{-1}A^{-1}\] ということになります。
(証明終わり)
対角行列
正方行列 \[A=\left(\begin{array}{rr} a_{ 11 } & a_{ 12 } & \ldots & a_{ 1n } \\ a_{ 21 } & a_{ 22 } & \ldots & a_{ 2n } \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ a_{ n1 } & a_{ n2 } & \ldots & a_{ nn } \end{array}\right) \] があるとします。
\(A\) の対角線上に並んでいる数 \(a_{11},a_{22},\ldots,a_{nn}\) を \(A\) の対角成分といいます。
対角成分以外がすべて \(0\) である正方行列を対角行列といいます。 つまり、 \[\left(\begin{array}{cc} a_1 & 0 & \ldots & 0 \\ 0 & a_2 & \ldots & 0 \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & 0 & \ldots & a_n \end{array}\right)\] という形をしている行列のことです。 ここでは、対角成分を \(a_{ii}\) と書く代わりに \(a_{i}\) と書きました。また \(a_1,a_2,\ldots,a_n\) の中に \(0\) となるものがいくつあっても構いません。
対角行列が正則なのはどんなとき?
逆行列をもつ行列を正則な行列というのでした。
対角行列では次のことがいえます。
- 対角成分の中に1つでも \(0\) があれば正則ではありません。
- 対角成分がすべて \(0\) でなければ正則です。
なぜなら、\(a_1,a_2,\ldots,a_n\) がすべて \(0\) でなければ、対角行列 \[\left(\begin{array}{cc} a_1 & 0 & \ldots & 0 \\ 0 & a_2 & \ldots & 0 \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & 0 & \ldots & a_n \end{array}\right)\] の逆行列は \[\left(\begin{array}{cc} \frac{1}{a_1} & 0 & \ldots & 0 \\ 0 & \frac{1}{a_2} & \ldots & 0 \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ 0 & 0 & \ldots & \frac{1}{a_n} \end{array}\right)\] で与えられるからです。このことは計算により簡単に確かめることができます。
固有和
正方行列の対角成分すべての和を固有和といいます。 つまり、正方行列 \[A=\left(\begin{array}{rr} a_{ 11 } & a_{ 12 } & \ldots & a_{ 1n } \\ a_{ 21 } & a_{ 22 } & \ldots & a_{ 2n } \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ a_{ n1 } & a_{ n2 } & \ldots & a_{ nn } \end{array}\right)\] の固有和とは $a_{11} + a_{22} + + a_{nn} $ のことです。
正方行列 \(A\) の固有和を \(\mathrm{Tr}A\) という記号であらわします。
固有和の性質
同じ型の正方行列 \(A,B\) などと数 \(r\) に対して、以下の法則が成り立ちます。 \[ \begin{align} &\mathrm{ Tr } (rA)=r\mathrm{ Tr } A\\ &\mathrm{ Tr } (A + B) =\mathrm{ Tr } A + \mathrm{ Tr } B\\ &\mathrm{ Tr } (AB) = \mathrm{ Tr } (BA) \end{align} \]
ここでは3番目の式が成り立つ理由を考えてみます。 \(AB\) の \((i,i)\) 成分は \(A\) の第 \(i\) 行と \(B\) の第 \(i\) 列を掛けて作られます。つまり、 \[ AB\,\text{の}\,(i,i)\,\text{成分} = a_{i1}b_{1i} + a_{i2}b_{2i} + \cdots + a_{in}b_{ni} \] です。
$(AB) $は \(i\) を可能な範囲ですべて変えてこれらの和を作ったものですから、\[ \begin{align} \mathrm{Tr}(AB) & =a_{11}b_{11} + a_{12}b_{21} + \cdots + a_{1n}b_{n1}\\[6pt] & \quad+ a_{21}b_{12} + a_{22}b_{22} + \cdots + a_{2n}b_{2n}\\ & \qquad\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\\[6pt] & \qquad\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\cdots\\[6pt] & \quad +a_{n1}b_{1n} + a_{n2}b_{2n} + \cdots + a_{nn}b_{nn}\\[6pt] &=\text{可能な範囲で}\,k,l\,\text{をすべて変えて}\,a_{kl}b_{lk}\, \text{の和を作ったもの} \end{align} \]
となっていることがわかります。
同じように考えると\[ \begin{align} \mathrm{Tr}(BA) &=\text{可能な範囲で}\,k,l\,\text{をすべて変えて}b_{lk}a_{kl}\, \text{の和を作ったもの} \end{align} \]
であることがわかります。
というわけで、\(\mathrm{ Tr } (AB) = \mathrm{ Tr } (BA)\) が成り立つことがわかります。
正方行列の \(n\) 乗
行列の積についての結合法則を思い出すと、行列の掛け算ではカッコはどこにつけても構わないということになります。 もっと言えば、カッコを省略しても問題ないということになります。 というわけで、たとえば、正方行列 \(A\) の3つの積を考えるとき、 \(A(AA)\)と \((AA)A\) は同じ行列になり、\(A^3\) と書いても問題ないわけです。
以上の注意を頭に入れた上で、 正方行列 \(A\) を \(n\) 個掛けてできる行列を \(A^n\) と書くことにし、\(A\) の \(n\) 乗ということにします。
また、どんな正方行列も \(0\) 乗すると 単位行列 \(E\) になると決めておきます。 つまり、 \[A^0 =E\] と決めておくわけです。
正則行列のマイナスなんとか乗
正方行列 \(A\) が正則、つまり逆行列 \(A^{-1}\)をもつとき、\((A^{-1})\) を \(n\) 個掛けたものを \(A^{-n}\) とあらわします。 つまり、 \[ A^{-n}=(A^{-1})^n \] です。
指数法則
正方行列の \(n\) 乗について、数の世界と同じような指数法則がだいたい成り立ちます。
正方行列 \(A\) と \(n=0,1,2,\ldots\quad m=0,1,2,\ldots\) に対し、 \[A^nA^m=A^{n+m}\] \[(A^n)^m=A^{nm}\] が成り立ちます。 \(A\) が正則のとき、これらの法則は、\(n=\ldots,-2,-1,0,1,2,\ldots\) や \(m=\ldots,-2,-1,0,1,2,\ldots\)であっても成り立ちます。
同じ型の正方行列 \(A,B\) が交換可能、つまり \(AB=BA\) が成り立っているとき、 \(n=0,1,2,\ldots\) に対し、 \[(AB)^n = A^nB^n\] が成り立ちます。 \(A,B\) が共に正則のとき、この法則は、\(n=\ldots,-2,-1,0,1,2,\ldots\) であっても成り立ちます。
この法則が成り立つ理由を簡単に述べておくと、 \[(AB)^n=(AB)(AB)\cdots(AB) =ABAB\cdots AB\] となりますが、今の場合 \(A\) と \(B\) は交換可能なので、さらに、 \[=AA\cdots ABB \cdots B =A^nB^n\] とできるからです。
まとめ
行の数と列の数が等しい行列を正方行列といいます。
ある正方行列に対して、その行列に右から掛けても左から掛けても単位行列になるような行列をその行列の逆行列といいます。
逆行列をもつ行列を正則な行列といいます。
正方行列が零行列ではないとしても、必ずしも逆行列は存在しません。
ある正方行列に逆行列があるとき、逆行列は1つだけに決まり、その行列に右からかけても左からかけても単位行列になります。
対角成分以外がすべて \(0\) である正方行列を対角行列といいます。対角行列が正則なのは、対角成分がすべて \(0\) でないときに限ります。
正方行列の対角成分すべての和を固有和といいます。 固有和では、上に述べたいくつかの計算法則が成り立っています。
正方行列の \(n\) 乗について、数の世界と同じような指数法則がだいたい成り立ちます。